「渦の中の女」(横溝正史)

金田一耕助の事件簿073b

登場人物に見る横溝の改稿長篇化のプロセス

「渦の中の女」(横溝正史)
(「金田一耕助の帰還」)光文社文庫

依頼人・緒方順子の持参した
手紙には、恐ろしいまでの
悪意が満ちていた。
忌々しい告発文書が団地内で
横行しているのだという。
その翌日、依頼人の住む団地内で
殺人事件が発生する。
現場から依頼人の夫が
立ち去るのが目撃され…。

横溝正史得意の改稿長篇化。
本作品は前回取り上げた長篇作品
「白と黒」の原形作品です。
「白と黒」は、
前回記したとおり全550頁の、
横溝作品の中でも
「雪割草」「仮面舞踏会」に次ぐ
三番目の頁数を誇る長篇ミステリです。
原形作品も
さぞかし長いのかと思えば…、
何と30頁!。
巻末の解説を見ると、約22倍の
長篇化となったとのことでした。

【事件簿File-073b「渦の中の女」】
〔事件発生〕
昭和32年(?)11月(東京)
〔依頼人〕
緒方順子
…団地内に横行する怪文書について
 相談。団地の住人。
 金田一・等々力とは馴染み。
〔捜査関係者〕
志田警部補
…所轄署警部補・捜査主任。
等々力警部…警視庁捜査一課警部。
〔事件関係者〕
日疋恭助
…順子の不倫相手。
 (本作品には名前だけの登場)
緒方達雄
…順子の夫。
 怪文書に憤慨後、一時失踪。
 殺人現場に居合わせた。
片桐洋子
…洋裁店タンポポのマダム。
 全裸絞殺死体で発見。
春田俊平
…団地の住人。会社員。
立花京美
…俊平の義理の姪。
 洋裁店タンポポの針子。
町田鉄造
…団地の理容店主人。
 犯行現場から立ち去る緒方を目撃。

「白と黒」を読んだ後に本作品を読むと、
長篇の贅肉を
そぎ落としたばかりではなく、
肉も手足の骨も削り、
まさに「背骨」だけが
残った感があります。
逆に言えば、
よくこの「背骨的作品」から、
あれだけふくよかな肉体を持つ
「白と黒」が完成したものだと、
改めて横溝の改稿長篇化の手腕の凄さを
思い知らされます。
今回は、何が付け加わって
「白と黒」となったか、登場人物から
追っていきたいと思います。

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登場人物に見る横溝の改稿長篇化①
依頼人・緒方順子の周辺を手厚くした

金田一に相談を持ち掛けた緒方順子
(改稿後は須藤順子)の夫・達雄は、
本作品では一時失踪しましたが、
後にきちんと姿を現し、
弁明の機会を与えられています。
そこから事件の姿が見通せてしまい、
事件が解決されるのですが、それでは
あっけないと思ったのでしょう、
「白と黒」では長期の失踪後、
死体として発見され、
事件を重層化させています。
また、順子のパトロン・日疋恭助は、
本作品では名前だけの登場でしたが、
「白と黒」では、順子とは別に、
殺人事件についての情報提供と
その秘密の保持を
金田一に依頼するなど、
「白」なのか「黒」なのか
判然としない人物像を
与えられています。
これによって、
事件は単純なものではなくなりました。

登場人物に見る横溝の改稿長篇化②
団地の住人を多様化、
怪しい人たちを連ねる

団地の住人が大幅に追加され、
怪しい面々が筋書き上を
闊歩するようになりました。
最も怪しい人物・画家の水島浩三。
殺害されたマダムの
洋裁店家主・伊丹大輔も、
怪しさを放っています。
カラスを飼育している団地の管理人で
元軍人・根津伍市も
不思議な怪しさを秘めています。
その元部下で映画プロデューサーの
渡辺達人も何かありそうです。
俳優見習い・榎本謙作・姫野三太の両名、
そして伍市の娘の由紀子、
極楽キネマ支配人・宮本寅吉と
その一家などの登場は、
怪しさは薄いのですが、
人間関係をより一層煩雑にし、
容易に犯人を絞り込ませない
作用を持たせるのに成功しています。

登場人物に見る横溝の改稿長篇化③
怪文書の被害者・京美の周辺を複雑化

さらに春田俊平・立花京美の伯父と姪の
周辺も手が入れられています。
春田俊平は名を岡部泰蔵と改変され、
職業は高校教師へ。
その亡妻・岡部梅子が中学校の校長。
泰蔵の婚約者・白井寿美子は
その中学校の教師と、
人間関係を膨らませています。
さらには泰蔵の中学校時代の後輩である
石油会社社長・立花隆治も
絡んでくるので、事件はますます
見通せない構造となっています。

登場人物に見る横溝の改稿長篇化④
団地外にも重要人物配置

横溝はそれでもまだ
飽き足らなかったのか、
団地外にも重要人物を配置しました。
民々党代議士・一柳忠彦なる政治家を
登場させ、
事件に意外な背景を持たせました。
そうなると金田一だけでは
手に負えないと考えたのか、
宇津木慎策なる新聞記者をあつらえて
下請け作業をさせています。
そしてダメ押しでS・Y先生。
自身のアバターまで投入する
念の入れようです。

横溝は「背骨」としての本作品が
よほど気に入っていたのでしょう、
倒錯した愛情を「白と黒」と表現し、
その「背骨」をより太くするとともに、
それに見合った骨格と肉体を与え、
「白と黒」を完成させました。
本作品「渦の中の女」を読むと、
横溝が「白と黒」の中で
何を最も大事にしたかったかが
見えてきます。

〔横溝おなじみの改稿長篇化作品〕
「金田一→金田一」では、
「死神の矢」「魔女の暦」などは、
タイトルもそのままで、
筋書きも肉付けだけを厚くしたような
改稿長篇化となっています。

「ノンシリーズ→金田一」も
いくつかありますが、
改変の度合いが大きい傾向にあります。
「赤い水泳着」→「赤の中の女」は、
骨格自体が変化しています。

「未完成作品→金田一」もいくつかあり、
「死仮面された女」は
由利麟太郎が登場した
未完成作品でしたが、金田一ものの
「死仮面」として完成しました。

そのほかにも、
人形佐七からの改変や
ジュヴナイルへの改稿など、
横溝作品は、
網の目のように原形・改稿の関係が
広がっています。
その関係を確かめるのも、
横溝作品を読む楽しみの一つです。

〔本作品の改稿の経緯について〕
巻末の解説を見ると、本作品もまた、
捕物帖の「浄瑠璃の鏡」
改稿作品なのだそうです。
さらには本作品と「白と黒」の間に、
「黒い蝶」なる中間作品が
存在するのだとか。
なんとかして読んでみたいものです。

(2022.8.19)

Ryan McGuireによるPixabayからの画像

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